目 次 品を下記に項目別に詳記してま す
当社は全国の寺院、神社様あて の 小口のオリジナル御札を作 成し納品すのを本業としてお ります。寺院 神社さま宛の ご案内です。 たいへんお世話になりました。 物作り、下手な文を書くの好き で皆さんとの語らいを中心に随 分多くの文が残ってます。 シンプルにを目標にしました。 販売時代読んでいただいた方が 多く、一部ここに残しましたが 文が長いので全て裏にまわして クリックしないと出てきません。 もし、以前読んだ文や、パーヤ サの集いに参加頂いた方は下記
048-749-1044 へどうぞ。 長年、ご愛顧頂いているメー ルでの申込みが苦手な方、今 また言葉より図示の方が正確に |
【福は内札】名称について 玄関のお守り及びそれに近いものは古くからあります。全体のイメージは思い浮かんでましたが、好い名前がないかいろいろ考えました。ただ語呂がいいだけでなく、意味も伴うもので考えた末に【福は内札】に決めました。
それは以下のような思いからです。 仏教を学ぶ心得として自燈明、法燈明がよく説かれます。初めて目にする人にこの言葉を説明するよりも2500年前のよく知られている史実からご紹介します。 ブッダは80歳を迎えられ故郷ルンビニをめざして旅をしておられました。長年付き添ったア- ナンダも一緒です。この旅の途中クシーナガラでお亡くなりになります。入寂が避けられないものと感じたアーナンダはお亡くなりになったら、私たちは誰を頼りに、何を頼りに生きていったら良いのだろうと嘆き悲しんでいました。ブッダは教え示します。『自らを島とし、自らを頼りとし、他人を頼りとせず。法を島とし、法をよりどころとし、他のものをよりどころとしないであれ。』法は仏法、真理のことです。生前のブッダの言葉がそのまま現代に伝わったと言われてます。島を燈と訳して自燈明、法燈明の教えともいわれ、仏法を学ぶ者の出発点ともなる大切なお言葉です。このお言葉を、全ては(幸福も)自分自身の内にあるとお受けして『福は内札』としたものです。 それから、なんと言っても福は内と言ったら節分の豆まきです。日本で広く行われている行事です。「福は内!鬼はそと!」邪気を払い福をまねく。こんな想いも重ねて命名しました。
福は内札作成で特に留意したのは掛けやすく、綺麗に掛かるように作ることです。 試作後のモニタリングのなかで 「コレを掛けるのに玄関に釘を打ったらお父さんに怒らる・・・」 主婦の声を聞いて、掛けやすく、釘うちしなくとも綺麗に決まることを目的に金具をつくりました。真鍮の小さな釘も付いてますが、モルタルとか画鋲が止まりにくい壁以外は画鋲が簡単便利です。桧を16%まで乾燥させてますので軽くできてます。【福は内札】は玄関や部屋に簡単に綺麗にきまります。
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