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心って何だろう

日々の生活、出来事のなかで 時にはゆれ動く心

                                           

 般若心経考

 巣鴨とげぬき地蔵尊の正面の小路を15㍍ほど入った右側にある元気の郷さんで久しぶりに般若心経学習会を開催しました

 

   いつもこの学習会をやる時に皆さん手ぶらにお出でになれるように、次の4つのものを用意しさしあげてる。

①般若心経経典。皆さんがメモをとる必要がないように②[五蘊、十二処十八界、十二因縁、四諦などの用語のメモ解説](般若心経を理解するために必要な基本単語)③[般若心経和文読み下しに漢文(本文)を添えたもの・通常の逆バージョン]④[なぜ?学習会をやるのか・その動機づけを明確にして始めたいので、中村 元博士のブッダ最後の旅より63~64ページの抜粋、ブッダが臨終近づいて付き人のアーナンダに伝えたいわゆる自島明、法島明の教え。心の仕組み、法、を明らかにするために般若心経の真髄である空観を基本とした勉強会ですよ]②~④は自分で書いたA4用紙1枚ずつです。①は5000部印刷屋さんに発注しました。安くあげるために下手な印刷屋にお願いしたら誤字だらけ

で切り張りで修正したが残念ながらあまりデキのよいものではない。

 

今回は初めての方が多く、総論から入り全員でゆっくり読経し始めました。

自主的に話しをされる方もあり、1時間40分ほど続けたがこの時間内で全文解説ができるわけでなく次回にもちこした。

理解を助けるために私が書いたメモA4.3枚。この写真では読めません。もし、必要ならメール下さい。メールで送ります。経典は一生使えるので、キチッとしたものをお求めになったほうが良いとおもいますが、必要ならさしあげます。送料(切手代の82円はご負担お願いします。もし申込み多数の場合限りがあります。

   

  何十回と断続的に続けてきたこの般若心経学習会。今回ここでとりあげたのは、いつも集いを終えた後に感じる寂しさ、愁い、について、この「心尽くし」で本音をあからさまにしたいと思ったからす。

 

 年前こんな気もして販売のかたわら求めの応じて話してきた。それがやがて仲間をあつめてくるから、すこし般若心経という言葉を知っている人は全国民のほとんど。読んだことのある人は膨大な人数。暗唱して 

 いる人は正確にはわからないが数百万人以上と思われる。写経をされている方もすごい人数と思う。

 日本人に一番人気のあるお経。しかしこの内容を理解されているかたは少ないようだ。理由は難解だからと思う。大般若教600巻のエッセンシャルとしてわずか260余文字にまとめ上げたともいわれるこのお経。仏教の真髄、空観を基軸にまとめてある。これを解りやすく話したら喜んでもらえるのではないか?15まとめて話してよ。更に定期的にやろうという話もあったが、私に余裕がなく応じられない。それでも数十回断続的に続けた。集いのあとで「ありがとう」とにこやかに言われると良かったと思うが。実はこの最初から、今でも終えた後に迷いと空しさがあった。迷いの基は二つ。ひとつは、私みたいな者がこんな話をしていいのかという戸惑い。あとひとつは、この集いで意味を少し理解しても結局は何のやくにもたたないだろうな?という思い、がつきまといスッキリ続かない。後者を意識して良く引用したのが無門関一則の話(趙州狗子)「頭で理解し解った程度では何の役にも立たない、迷いのもとになるだけ。熱い鉄の玉を飲んだ時のように飲みこむことも吐き出すこともできないほど苦しみトコトン考えぬく。解った解らない、有る無いを越えて、言葉尻を越えて、四六時中突き詰めて考えていくと気付くものがある」という話。

 

 般若心経の取り組みについて、世間とは良くできているものだと最近になって思うようになった。読経会を続けたり、写経をつづける。この人たちが迷った時にふとお経の一節が頭に浮かび救われた。楽しみながらゆっくり続ける世間一般的な取り組みの勝ち。といっことを今頃になって実感した。理解しようと追い回して、理解したところで何の役に立たないのかもしれない。

ずいぶん時間がたつが、顔も動作も威圧感のあり人が避けて通るような知人がいた。他の人も交えて話しているとき、たまたま般若心経の話がでた。すると彼が話し出した。オレの親だから頭が悪いし、たしたことないんだけど、「これだけは何時も持っていろ」と渡された。布でくるんだ小型の般若心経の経典をカバンから出して見せた。この男、親にまで斜にかまいて「こんなもん持てるか」といいながら受け取り大切に持っていたようにも思えた。偉大な親心だ。

 

「やめた、ヤメタ」と言いながら人に求められると学習会を続けてきた。もう歳だし病後を考えると潮時だろう。このお経が身につくのは学習会でなく、実生活の中で悩み、苦しんでいるときかもしれない。理解し知識として解っても、智慧になり心の安寧につながるのは難しい。

 

 ここまで私の下手な文章にお付き合いしていただいたお礼も兼ねて、般若心経を理解するための最高の参考書をご紹介したい。私の下手な話を聞くよりはるかにいい。今までもこれからも解説書の最高峰でこれを凌ぐ解説書は出てこないだろうと思っている本がある。それは岩波文庫1960年初版、中村 元 紀野一義 共著の般若心経(もう一つ金剛般若経ものっているが)だ。私は齢60代後半に入ったが、中学生の時に誰に勧められたわけではないが、近くにある曹洞宗の禅寺、滝谷の慈光寺に一人で禅の手ほどきを受けにいった。解らないままにいつの間にかはまっていた。依頼、仏教に関する本は興味の対象だった。気ままに読んできた。50年同じジャンルで読み続けていると少しはわかってくるものがある。般若心経くらい著書の多いのも珍しい。ぞろぞろ出てきたし、これからも出るだろう。中村 元先生が解説のなかで「時々、超訳したい誘惑にかられた」といった意味のことを記しておられたが、先生は資料に忠実に、ブッダの生きた言葉をさぐりながらの翻訳されたようだ。お世話になったお坊さんから在学中に教科書として学んだ本や参考書をいっぱい頂いたことがある。量が多かったが一応目を通した。いわゆる学術書では般若心経本文の解説については大差はないようだ。なぜご紹介した中村 元先生の書かれた本に感銘をうけ、繰り返し読んだのか。先生の書かれた注訳の部分です。本当に参考になったし今まで読んできた本以上に難しいが繰り返し読んでみると一番わかりやすい本だった。

  こんな能力以上の訳の解らない文を終えて、最後に私にとって般若心経はどのように役立ち生かされたのかを記して終わりにしたい。

 私は煩悩が多く悩みも深い人間だ。ある構想にとりかかると自分を忘れる、時間も忘れる。金のないのも忘れる。思い詰めて夜眠れない時、気持ちの整理が難しい時、般若心経を手にする。暗唱していても手にもって目から入った方が妄想が付きにくい。同じ短文を何千回か何万会か解らないが繰り返し読んでも尚ありがたい。姉の嫁いだ家のおばちゃん朝夕、漢文と和文読み下しを85歳でなくなるまで必ず唱えていた声が聞こえてくる。

 宗教はかならずしも嫌いではないが、というより私を教え導いてくれたことは感謝している。徒党をくむのが嫌いな私には一人で目にする般若心経、金剛般若教があう。

私にはありがたい経典だ。

 


                                                                   

【心尽くし】。これは、以前お客様の求めに応じ、般若心経学習会、自島会、パーヤサの集い 

などの名称で当社事務所や近くのレストランに集って行った学習会がベースにあります。この会自体それなりに人も集まって楽しかったのですが、私自身のモチベーションが続かず中断しがちでした。喜んで頂いた方も沢山おられ、これからネット上できままに発信するために設けたコーナーです

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